表向きの《うなぎ》という言葉に反応する人

 そうなのである。どこ産であるかとか天然か養殖かというのにこだわりがなく、ただ《うなぎ》という3文字の言葉に反応して喜ぶ。そういう人なのである。うなぎは国産と中国産とでまったく別物。産地によってこれほどまで中身が違う食べ物も珍しい。

 中国産のうなぎは、ほんとうにふっくらしている。ボリュームが国産と違う。食べるとまたふわふわしている。逆に国産は身が引き締まっている。見た目からして別物なのである。それでも目の前に《うなぎ》を出されると、特別感を感じてしまう、安あがりなおじさんなのであった。

 今回冒頭の写真のうなぎは、職場の昼食に出てきたものである。この日ちょうど通勤中に聴いているラジオ番組のラジオショッピングコーナーで、国産うなぎのかば焼き詰め合わせが紹介されていた。稚魚が年々少なくなっているから、お得に買うなら今!ってかんじで力を入れて紹介していた。

 しかしどんなに売り方がうまくても、消費者のこちらに先立つものがなければ買うことはできない。30パック入って9000何とか円…清水の舞台から飛び降りる覚悟があれば買えないこともないが、飛び降りたら飛び降りたで、戻って来られない可能性も考えられる。

 あともう一つ言いたいのだが、番組でも言っていた言葉で、《かば焼きを焼いた煙をおかずにごはん食べられますよね》っていうのがあった。それはできない。煙をかいで頭の中で想像することはできるのだが。ごはんもその想像のなかにある。頭の中のうなぎのかば焼きと実物のごはんはいっしょにできない。

 さあこれぐらいでいいだろう。これいじょう横道に入ると迷宮入りして収集がつかなくなる。うなぎを目の前にして、あれ?今日は土用の丑の日だったっけ?って思ってたら違う。ラジオで紹介され昼食にも出てきたから勘違いした。

 この日は給食業者さんの創業50周年記念日だったのだ。そうね。そういうハレの日にはうなぎがよく似合う。中国産でレトルトパックに入って湯煎すればすぐ食べられるものだって別にいい。目の前に《うなぎ》があって、それが食べられれば幸せなのだ。

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